パプリカを観た話

 

 以前呟いたことをもう少し詳しく。

 

 2021年の10月頃、レンタルビデオ店で映画「パプリカ」を友人Oと借りて、その週末に一緒に観た。そのOは1回の視聴で満足したらしく、一方で自分は期限が来るまでに時間を見つけて計4回観た(Oは他にも数本借りていて、それらも一緒に観た)。


 パプリカ。筒井康隆の同名の小説を原作とする、今敏が監督を務めたSFアニメーション映画だ。装着をすることで他人と夢を共有できる機械「DCミニ」が精神医療研究所から何者かに盗まれた。研究所に勤めるセラピスト、千葉敦子はDCミニが悪用されるのを阻止するために動こうとするが、早速研究員たちの間で精神を侵される者が現れていく……というストーリー。


 はじめに観たいと言い出したのも自分だった。その奇っ怪なストーリーに惹かれたというものもあるが、それ以上に自分を動かしたのは幼少期からのとある記憶だった。自分は少なくとも5歳までにパプリカを観ていた筈だったのだ。幼稚園で遊んでいるときや、親に手を引かれ公園を歩いているときなどにその内容を思い出していたという記憶があった。標本室のシーンや絵の中に飛び込むシーンなど、全てではないが部分的に内容を覚えていて、それが日常生活やいつも観ているアニメと比べてもかなり異質だったこともあり、これは一体なんの記憶なのだろうと、その時からたまに思い出しては気になっていた。


 そんなことが小学校、中学校に上がっても続いていて、思い出すのは何故かいつもネットが使えないときばかりで、その度にあとで調べようとするも、不思議なくらいにそれからすぐに忘れてしまうのだった。


 しかし、高2のときに転機が訪れた。もう暫く思い出していなかったが、偶然、ツイッターでパプリカの話題があがっているのを見かけたのだ。そこに貼られていた映画内のワンシーンの画像を見て、比喩でもなく、背筋に冷たいものが上ってくるような感じを覚えた。見覚えのある絵だった。これはもしかして、幼少期来の不思議な記憶につながるものなのではないか、と直感した。鳥肌も立っていたと思う。その次には検索欄にパプリカの文字を打ち込んでいた。


 そして同じくワンシーンの、青い蝶の群れの画像を見て、パプリカこそが長年自分が首を傾げていた奇妙な記憶で見ていたものであると確信した。記憶の中にも、たくさんの青い蝶が出ていた。


 それからすぐに、映画の原作となった筒井康隆の同名の作品を図書館で借りた。実はパプリカは原作と映画で展開が異なる。しかし、共通する登場人物の島や粉川のキャラクター描写は例の記憶でも覚えのあるものだった。


 数週間後、友人Oと共に、パプリカをレンタルしに出かけた。思っていたよりも見つけにくく、店員に声をかけて案内してもらった。無事パプリカを含む数作をレンタルし、翌日に別の友人Tも誘って鑑賞会を開いた。


 結果として、遂に例の謎の記憶にあったものを再び観ることとなった。これだこれだと、懐かしさと興奮でいっぱいになった。それ以上に、記憶にはなかったシーンの不気味さや異質さに圧倒されていたが。

 

 さて、晴れて長年の謎を解決することができて、しかしそれからがまた奇妙な話だった。例の記憶では、パプリカのシーンだけでなく、それを観ていたときの周囲の様子も出てきていた。今まで観たこともないようなアニメを映すテレビ、床に座る幼い自分。そしてその後ろのソファには、一緒に観ている男の姿があった。それを自分はてっきり、パプリカを父親と幼少期に観ていたのだと思っていた。そしていざ父親に「あのさ、昔一緒に観たパプリカって映画を覚えてる?」と確認したところ、なんと首を傾げられた。父親はパプリカを覚えていなかったようで、まあ恐らくは10年も前の話だし、とその時点では特段不思議に思わなかったのだが、動画サイトでパプリカの予告動画を見せても反応がなかったときには流石に不審に思った。まさか、あの強烈な内容をすっかり忘れることはないだろうとしつこく確認した。そんな自分に対する父親からの返事は、「そんなの全く観た覚えがないし、それよりもこんな内容の映画を幼いお前に観せるわけがない」というものだった。


 ソファに座る男の姿は朧げで、ただ存在だけを感じていて顔まで覚えているわけではなかった。しかし、記憶の中の景色は確かに家の中で、となると男は父親しかありえない……。自分は奇妙な感覚に襲われた。ここで付け足しておくと、幼い自分が一緒に観ていたのが男というのは記憶の誤りで、本当は母親と観ていたということは、ほぼありえない。奇妙な言い方ではあるが、自分の実感の中では絶対にないとさえ断言できる。というのも、先程も出た「標本室のシーン」には、少し性的でセンシティブな内容が含まれているからだ。当時はまだ性に暗かったが、これを女の人と観てなくてよかった、と幼いなりに感じていた記憶が確かにあった。一応、母親にも予告動画を見せたところ、「何この教育に悪そうなの」というような反応だった。


 両親にしつこいと言われてしまったので、それ以上質問することは出来なかった。おまけに、父親からは「それこそDCミニにお前の脳が侵されてるんじゃないか」と笑われた。

 

 そのときには自分も笑ったのだが、これが、自分を悩ませる一言となる。

 

 自分は記憶について、パプリカを高2で観る前にはOにしかはっきりと話していなかった。つまり、自分がパプリカを高2以前に観ていたかもしれない――幼少期から不思議な記憶を持っていたことを確認する術は、Oに訊くしかないということだ。もし自分が第三者にこのことを話したとしても、「パプリカを高2の10月で観た時点で、それまでに記憶を持っていたという勘違いが生まれたのでは?」と言われたときにうまく反論が出来ないということに気がついた。例えば、パプリカをめぐる今までの自分の行動について、ツイッターでパプリカを初めて知り、そこから興味を持って小説パプリカを借覧、幼少期に同作品を観ていたような気になった、と説明ができてしまうわけだ。何故か不安になって、後日、肝心のOへ確認をとったが、「どこどこのシーンを観た覚えがある」と具体的に説明していたわけではなかったため、遂に、絶対に高2以前にパプリカを観ていたと確信できるような返答は得られなかった。……

 

 これが、自分が以前ツイッターで少し呟いていた、パプリカについての謎の流れだ。10年に渡り茫と抱いていた疑問の答えを遂に見つけたと思った直後に、その疑問自体が果たして勘違いでないとどうして言えるのかという壁にぶち当たった。もし勘違いでないとして、ではパプリカを自分は一体いつ観たのか、一緒に観ていた人物は存在したのか、その男は誰だったのか。勘違いだったとして、何故そのような感覚が生まれたのか、ツイッターで見かけたときに覚えた寒気も嘘だったのか、何故パプリカを観ようとこれまで執着気味に動いていたのか。……そもそもその行動の記憶すら怪しくなってくる。


 いずれにしても、自分は自身の記憶に疑問を抱かねばならず、それまでの自分の行動を疑うことを避けられない。今までさんざん記憶違いや物忘れを繰り返してきた自分でも、ここまで苦悩に近い感情を持つことはなかった。


 人間存在は記憶情報の影にすぎないだとか精神は神経細胞の火花にすぎないだとか、そういう方向の哲学や脳科学の話につなげたいわけではないが、わかりそうでわからないもどかしさで、記憶の不確かさや曖昧さに悶えそうになる。その上、このすべての原因となった映画がパプリカであったことも困惑に拍車をかけた。

 

 先程はつい、教育に悪そうという表現まで書き起こしてしまった。自分はパプリカを悪く言うつもりは毛頭ない。むしろ拙い語彙で、なんとかまだ観たことがないという人に勧めたいくらいだ。DCミニをきっかけに夢と現実が交錯していく不可思議な世界を覗いて、自分もちょっとした錯覚か、混乱かが起こったのだろう。


 もしかしたらある意味で、DCミニの影響を受けたのかも知れない……と、そんな気分になったわけだ。

 

 今も、幼少期からの記憶に気持ちの整理がついてはいない。両親やOに最後に確認してからの進展もない。そしてこれから、一緒にパプリカを観ていたという男が現れたり、レンタルビデオ店で「昔パプリカを観たことがある」と話していた高校生組を覚えている店員を見つけ出したりすることも、多分ない。多くの謎が残ったまま、現在に至る。

 

 これはきっと、自分の生涯で最大の謎だ。そして、これは他の誰にも共有できない、自分だけの感情なのだと思う。今回は文章に起こすことが目的だった。結果として、いろいろと時系列をまとめたり、感情に改めて向き合ったりすることが出来た。結局「わからなかった」で終わってしまうが、このようにブログにできてよかったと心から思う。こんなふうに時折、この不思議を思い出していきたい。

 (滴いっぱいの記憶を聴きながら)